南部俵積み唄
                 (青森県)

この唄は、誰が作ったのか、どこから来たのか、は不明である。しかし、三戸で初めて節がつき、三戸で唄われはじめたのは確かである。
三戸町大字豊川字久保に住んでいた大村仁蔵氏(明治24年10月29日生、昭和48年82歳で死去)から語らなければならない。
大村氏はこの唄を、三戸の蛇沢新田の掘っ建て小屋(くず屋)に一人で住んでいた「たらじみじい(俵づみ爺様)から聞いたと言う。夏は魚釣り、冬は俵づみの門付けをして暮らしていた爺様は、出雲の国から門付けをしながら流れて来たらしいが、今は知る人はいない。
大村氏は「ジボジ」とか「ドホジ」とかのあだ名で呼ばれていたが、たいへんな博学で昔語りや歴史にも詳しい人だった。大村氏が昭和15年頃、蛇沢の知り合いの家によく薪をもらいに来ていた時、部落の子供たちが集まって、夜遅くまで大村氏の語りを喜んで聞いていた。語りも終わり夜10時頃、家に帰る前に決まって語り唄ったのが俵づみ唄だった。
これを聞いていたのが水梨末治氏(豊川字久保)と高田賢治氏(川守田字横道)であった。水梨末治氏はこの語りにどうにかして節をつけたいと思い悩んでいた。成人した頃は節回しも固まってきた。同氏は昭和31年金田一温泉プール(岩手県二戸市)解説1周年記念の岩手青森芸能コンクールに出場し準優勝した。三味線伴奏は袴田の袴田たけし氏である。この時初めて、南部俵づみ唄が民謡として世に出たのである。仲間である水梨興助氏、水梨つとむ氏、高田賢治氏等も唄うようになった。
昭和37年〜38年頃、水梨つとむ氏の師匠であった民謡歌手の館松栄喜氏(名川町)が、これを編曲しラジオ放送で全国に流した。更にレコード盤も出て、またたくまに南部俵づみ唄は全国に広がり、南部地方の代表的な民謡として育ったのである。

(歌唱例)
   ハアー 春の始めに この家(や)旦那様サ
       七福神のお供してコラ 俵積みに参りた
   ハアー この家旦那様は 俵積みが大好きで
       お国はどこかとお聞きあるコラ 私の国はナアコラ
       出雲の国の大福神
       日本中の渡り者コラ 俵積みの先生だ
   ハアー この家旦那様の お屋敷おば見てやれば
       倉の数が四十八コラ いろは倉とはこのことだ
       一の倉は銭倉コラ 次のお倉は金(かね)倉で
       次のお倉は宝倉コラ 次の倉から俵倉
       俵倉には米を積むコラ 七万五千の御俵をば七十五人の人足で
       大黒柱を取りまいてコラ 千戸から千石 万戸から万石
                  (栓戸から千石 窓から万石)
       ヤッコラセの掛け声でコラ 棟木までよと積み上げた
       さても見事に積み上げたコラ 
       おほめ下され旦那様サ お祝い下んせ母(かか)様
       ハアー めでたいなめでたいな 
       この家旦那様は百万長者と申される
             (億万長者)

(大村仁蔵氏の語り)
  ハー春のはじめにこれの旦那様へ七福神におともをして俵づみが参りた
    どっちの方から参りたあコリャあきの方から参りたあ
ハーこれの旦那様は俵積が大(おお)好きでお国はどこかとお聞きある
私の国はナア出雲の国の大福神日本中の渡り者コリャ 俵づみの先生だ

ハーこれの旦那様の奥のお座敷見てやれば
白髪の生(お)えたお爺様とコリャ腰の曲がったおばあさまと
大判箱には腰おろし 小判箱には肘をかけ
金の屏風をたてまわしコリャ金の火鉢に金茶釜
金の楊枝をくわえてコリャ備後表の御畳
でんでん高麗(こうら)の虎の皮コリャこれに御座り旦那様
ハーめでたいやあ めでたいやあこれの旦那様は百万長者と申さるる

ハーこれの旦那様の奥様を見てやれば
色が白くて白鳥(はくじょ)だかコリャ首は長くて鶴だか
器量の良いこと玉子に目鼻
せいのころ見てやれば 高からず低からずコリャ
体のまわりを見てやれば太からず細からずコリャ
姿の良さを見てやれば 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花コリャ
弁才天様と申さるる

ハー年の月の暮れの日となれば
あまたの番頭を呼び集めあまたのたんすを取りいだすコリャ
あまたの帳面引きいだし銭の貸しも調べてコリャ
金の貸しも調べた シラミの貸しまで調べた
ハーめでたいやあ めでたいやあこれの旦那様は百万長者と申さるる

ハーこれの旦那様のお馬屋を見てやれば
奥行三十三間でコリャ 表も三十三間で
三十三間四面のお馬屋にコリャつなぎとめたる馬の毛は
一に栗毛二に葦毛コリャ三には虎斑(とらぶち)鴨糟毛(かもかすげ)
ハー中の黄金柱につなぎとめたる馬の毛はコリャ
誰がつけたか大御鹿毛(おおみかげ)
ハーめでたいやあ めでたいやあこれの旦那様は百万長者と申さるる

ハーこれの旦那様のお屋敷おば見てやれば
お倉の数は四十八コリャいろは倉とはこのことか
前の倉は金倉 次の倉は銭倉次の倉は分庫倉コリャ 次の倉から米倉で
米倉から積み上げたコリャ 窓から万石せんどから千石コリャ
七万五千の御俵を七十五人の人足(おにそく)でコリャ掛け声もそろえて
キタコラコラサの掛け声でコリャ唐竹のこんばりで
俵(ひょう)の小口をそろえてコリャ棟木までもと積み上げて
さあこれで俵の積みおさめコリャ大黒柱をとりまいて 七福神のお祝いだ
上に大黒座らせて一振り振ってはにごにごとコリャ
二振り振ってはこれの旦那様にならぬ災難無いよう
三振り振ってはこれの旦那様は益々繁盛するよう
おほめ下され旦那様コリャ御祝い下されかかあ様

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