<阿波踊り>

(徳島県)


○阿波踊りの起源
 いろいろな説がありますが、次の3つが有力な起源説といわれています。
(1)築城起源説
   天正15年(1587年)に蜂須賀家政によって徳島城が落成した時、その祝賀行事として城下の人々が踊ったのが阿波踊りの始まりとする説。
(2)風流踊り起源説
   阿波踊りの特色である組踊りが、能楽の源流をなすといわれる「風流」の影響を強く受けているといわれ、寛文3年(1663年)の「三好記」の中には、天正6年(1578年)に十河存保が勝端城で風流踊りを開催したという記録に基づいて   これが阿波踊りの原型だとする説。
(3)盆踊り起源説
   阿波踊りが旧暦の7月に行われた盆踊りであるというもの、「俄」「組踊り」といった特殊なものが派生してきたとはいえ、その元は盆踊りであるという説。

○踊り衣装
・男踊り 腹にさらしを巻いて、浴衣か法被を着て、裾をからげて腰帯(兵児帯、細帯など)につまみこむ。ももひきをはき、足には白い足袋。頭には手拭いをきゅっと絞り上げてできあがり。
・女踊り 肌着、長襦袢、浴衣を重ねる。どちらか片方の肩を脱いで襦袢を見せる事が多い。浴衣は裾を前で左右に割り、背の帯下のひもで落ちないように止める。
手甲をつけて、足には白足袋に利久げたを履く。髪はまとめて編みがさをかぶる。

○よしこの
 7・7・7・5調の阿波踊りのはやし唄。明治期の流行歌の一つで、当時情報通だった
藍商人が唄っていたものが、阿波踊りの地の唄として定着したといわれている。ゆっくりしたものが阿波踊りと結びついて、独特の「阿波よしこの」が育ったという
 
  踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らな損損(新町橋まで来んか 来い来い)
  阿波の殿様蜂須賀公が 今に残せし阿波踊り
  アーエライヤッチャエライヤッチャ ヨイヨイヨイヨイ
  踊り踊らば品よく踊れ 品のよいのを嫁にとる
  ひょうたんばかりが浮きものか 私の心も浮いてきた
  笹山通れば笹ばかり 大谷通れば石ばかり 猪豆くうてホーイホイホイ

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